初代登名美 | (~明治16年) |
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鳥居派の名跡は、山田流御三家の一つであった山登派から出ています。 山田流流祖山田検校の門下には山登・山木・山勢というすぐれた検校がありましたが、 山登検校はその筆頭の弟子だったといわれています。 その山登の門下に佐藤登名美という女性があり、免状発行を許されたことによって、 登名美という名も襲名されることになりました。 それは、当時の男性社会の中では、佐藤登名美がまことに特異な存在であり、 技も優れていたためと思われます。 |
二代登名美(初代鳥居名美野) | (~大正9年) |
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鳥居派の名跡は、山田流御三家の一つであった山登派から出ています。 佐藤登名美のあとを継ぎ二代登名美となったのは弟子の鳥居名美野(初代名美野)です。 天保四年生まれ、本名を<きん>といいます。 二代目登名美を襲名の後、晩年は隠居名を琴泉と称し、88歳の天寿を全うしました。 登名美の芸系は、この二代目から鳥居姓を名乗ることになります。 |
三代登名美(二代名美野) | (~大正4年) |
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三代登名美は二代目の弟子で、後に養女となります。 本名を<さと>といい、やはり名美野を名乗ってから、登名美を襲名しました。 中能島喜久と共に当時の女傑といわれ、技倆・人物ともに優れ鳥居家を隆盛に導きましたが、 大正4年二代目に先立って没してしまいました。 |
四代登名美(三代名美野) | (~大正14年) |
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四代登名美は二代登名美の姪<たき>で、三代目の養女となり名美野を襲名、 三代目没後登名美を襲名しますが、わずか十年で大正十四年41歳という若さで没しました |
五代登名美(四代名美野) | (~平成4年) |
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五代登名美は本名を<もと>といい、父鳥居専司が二代鳥居登名美と姻戚関係にあったことから、 満十歳で四代目の養女として迎えられ、二代目と四代目の薫陶をうけて育ちました。 大正14年、四代目が早逝したため、わずか満二十歳の若さで名美野から登名美を襲名しました。 歴代登名美の中でもっとも長く56年間家元として、門人の育成と古典の正しい伝承に努め、 特に三絃の名手として活躍しました。 昭和57年養女五代名美野に家元を譲り、平成4年、二代目と同じ88歳で没しました。 鳥居派は代々女性が名跡を継いできましたが、常に大きく山登派を支え、 山田流における三絃奏者としても女流の代表的存在となっています。 特に明治22年三代山登松齢が没したあと、その名跡が空白になった折、 二代目鳥居登名美以下の鳥居家の美事な伝承がなければ、 山田検校及び初代山登検校の古曲など現代に伝わらなかった可能性は大きいといわれています。 |
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